こうしたまちづくりの仕掛人は、双海町役場の若松進一さんである。若松さんは1944年生まれ。都会に集団就職する仲間が多かった世代である。宇和島水産高校を経て70年に役場に入り、83年からまちづくりに携わってきた。
「夕日」という切り口のきっかけは、14〜15年前、都会から来たマスコミ関係の人に「夕日がきれい」と言われたこと。瀬戸内海に沈む夕日がきれいなのは当たり前という感覚であったが、宇和島水産高校の実習でオーストラリアへ行ったとき眺めた南太平洋のきれいな夕日、総理府派遣「青年の船」でアメリカ・メキシコ・ハワイで見た美しい夕日がよみがえってきた。日本全国、どこにきれいな夕日があるのだろうと旅してみると、佐渡の海に落ちる夕日、北海道の地平線に落ちる夕日など、きれいな所がたくさんあるものの、そのわりには何もしていない。「当時はバブル経済にさしかかる時期。追い越せ、追い抜けという中で、夕日の“沈む”“落ちる”というマイナスイメージが嫌われていたのだろう。」それならば夕日で、「ひょっとしたら、一周遅れだってトップランナーになるかもしれない」と思いたった。

手始めに、青年たちと一緒に夕焼けコンサートを企画した。ほとんどの人が「夕日なんかでまちおこしが出来るはずがない」というなかで、夕日の映える下灘駅のプラットホームをコンサート会場とし、日本フィルハーモニーのトロンボーン奏者を招くと1000人を越える聴衆がつめかけた。このコンサートを何年か続けているうちに、夕日のきれいなまちというイメージが定着していき、その集大成として、夕日の物語を凝縮した「ふたみシーサイド公園」を完成させた。こんなにまでして、はたして人が来てくれるのかという思いもあったというが、今では、ふたみシーサイド公園は、年間55万人を集める県内屈指の観光・レジャースポットとなり、運営する第三セクターも年間2千万円の黒字を出している。